スピリチュアルと脳の成功法則〜人生好転のテクニックの数々〜

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四国八十八ヶ所の巡礼の旅に見る修行とスピリチュアルの関係

      2016/12/13

四国八十八ヶ所の巡礼の旅に見る修行とスピリチュアルの関係
今回のテーマは、

四国八十八箇所の巡礼の旅に
見る修行とスピリチュアルの関係

について紹介します。

宗教家も含め古今東西の
スピリチュアルリーダーは、

何かしらの修行を経て、
知恵にたどり着いているものです。

日本で有名な修行場と言えば、

四国八十八箇所の巡礼の旅は

今ではマスコミでも
よく取り上げられ、

一般人も参加できるものとして、

若い女性が参加する
事も増えてきましたが、

一体なぜ人はわざわざあのような
修行、苦行をするのでしょうか。

中には観光気分で巡るのと
受け止める人もいるようです。

しかし、実際にやってみれば
わかりますが、

真摯に取り組んだ場合、

長い道程を歩き、山を登り、
何百段の階段を上がり上りするのは、

精神的にも肉体的にも
かなり厳しいものがあります。

難行苦行の修行をする
心構えがなければ、

できることではありません。

それでもあえて四国八十八箇所
の巡礼の旅に出掛けるのは、

信仰というのは
ただ祈りを捧げるだけでなく、

行動も求められるものです。

これはスピリチュアルな
成功法則についても同じです。

人の心の中には
神と悪魔の二人が住んでいます。

念仏を唱え、祈りを捧げる行為は、

自分の心の中の悪を、
自信の善で諌める心の
修行と言えるのです。

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修行とスピリチュアルの関係

心の修行というのは、

座って心の修行をするだけでは
十分とは言えません。

お経を読んで理解できる
といったものではありません。

信仰には行動もまた
必要なのです。

このサイトでは特定の宗教を
紹介するものではありませんが、

四国八十八ヶ所の巡礼の旅は
宗教宗派の信徒でなくとも、

人々が自分の心の中に、
神と悪魔の存在をわずかでも
認識したときから始まります。

また、懐の深い仏教は、

信心する心さえあれば
全ての人を寛容に受け入れる、

広い心を持っています。

神道というのもそのような
考え方があるでしょう。

つまり日本の宗教は
寛大なものなのです。

スピリチュアルの世界でも
自らの実践を大事にします。

むしろ宗教に携わる
専門家や学者諸氏のほうが、

一神教だ、多神教だと
いった不毛な議論を続けている
ように思えます。

凡俗の善男善女にとって

宗教宗派で区別する事なく、
神の存在を前提にし、

誰に言われるでもなく、

心の赴くままに信仰し
行動して構わないと思います。

そしてそれを妨げるものは
ないのです。

私の解釈では、

通りすがりの道ばたに
小さな神社や祠を見つけて、

思わず合掌する事も、

他家を訪問して目についた
仏壇に線香を供える心も

それが真摯であれば、
そこに神仏は宿るのです。

四国八十八ヶ所の巡礼に見る修行

とは言えやはり、

それなりに厳しい修行を
味わうと見えてくるものもあります。

そういった中で

四国八十八ヶ所の巡礼の旅

というのは良い選択肢でしょう。

ある程度しっかりと整備された
ルートもあるわけですから安全です。

ただひとつ、

四国中を一人で巡るわけですから、

そういう自由な信仰者が味わう
つらさは孤独かもしれません。

自分一人で思い立って
巡礼の旅に出たのは良いが、

思いのほかつらくて苦しい、、

という経験もするでしょう。

しかし、心の挑戦を持っているので、

同じ目的を持つとは言え、

他者との接触はできるだけ
したくないものです。

でも一人で行う
巡礼の旅の孤独もまたつらい。

深い心の悩みを抱える人
のなかには、

こんな思いの人も
きっといる事でしょう。

こう言う人は、

弘法大師の教えである
「同行二人」という言葉を
覚えておくと良いでしょう。

四国八十八ヶ所の巡礼の旅は
たった一人の道行きであっても、

決して一人ではない。

いつも弘法大師と二人で
歩いている、

弘法大師の愛に包まれている、

というのが「同行二人」
の意味なのです。

だからこそ、疲れ果てて
もう一歩も歩けないという
状態になったときに、

スピリチュアルな深い部分に触れ、

不思議な力を体験する事が
できるのです。

その事を体感できると、
再び勇気が出ます。

悩みも吹き飛ぶでしょう。

巡礼の旅とスピリチュアルの関係

また旅の間の宿では同じ旅
仲間と意見の交換もできます。

宿の主人たちも快く迎えてくれます。

そういった人たちとの
会話を通じても、

何かしらの気づきが
あるかもしれません。

こうした体験を期待するなら
スピリチュアルな修行でも

やはりあえて一人で孤独な
旅立ちをした方が良いのです。

そこでは先祖の魂、
故人となってしまった
知人友人の魂が共に歩き

見守り、力づけてくれます。

人間は目に見えない何かを
信ずる心がなければ、

確かな気力を持つ事すら
できないのです。

「私はあなたを心より
信じ愛しています。」

という言葉があります。

「心」「信じる」「愛」

これらは何一つ目には
見えないものです。

従って目に見えないものを
信じないような人、

つまり信仰心のない人が使う
これらの言葉は、

信ずる事は出来ないのです。

スピリチュアルな世界も同じです。

人間はたった一人で
生まれてきて、

またたった一人で
天へ帰っていくのです。

この摂理を思えば、

またこの先、誰か大切な
人に先立たされて孤独を
味わう事になるかもしれません。

そのときも

「同行二人」を知っておくと
心が落ち着くはずです。

また遠距離恋愛や

配偶者や恋人が仕事で
忙しくてほとんど会えない
状態が続いていても

心で結ばれているという
「同行二人」の意味を理解すると、
愛を育てる事になります。

四国八十八ヶ所の巡礼の旅

修行を通じて
こうした事が見えてきます。

とは言え、誰しもがこうした
厳しい修行を経なければ、

何かしらの悟りに近い
感覚を得られないのでしょうか?

…そんなこともないでしょう。

次回はもう少し身近で手軽な
魂の修行方法について考えてみましょう。

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